​なっとく!金次郎さん

​倉真報徳社の歴史

・嘉永元年(1848年)乙星報徳社 その後各耕地にできました。

・明治17年(1885年)牛岡組報徳社(各耕地の報徳社を合併)

・昭和41年(1996年)倉真報徳社に改名

​報徳の教え「四つの柱」

二宮尊徳はすばらしい行いをしました。その教えと方法を「報徳の教え」と言い、報徳思想を形成する四つの柱があります

至誠:まっすぐで思いやりのある心

勤労:熱心に働くこと

分度:自分にふさわしい生活をすること

推譲:余分を作り出し、それを将来ために残したり、他の人や社会のために譲ったりすること

​二宮金次郎像はどこにある?

​倉真小学校の校庭にまきを背負い本を読む少年の金次郎(のちの尊徳)の像があります。金次郎はたいへん親孝行で、よく働きそして勉強も一生懸命しました。今から70年くらい前に子どもたちのお手本として日本全国の小学校に金次郎の像が立てられ始めました。

​掛川に報徳の教えを広めた岡田家の人々

岡田佐平治(1812~1878年)

・倉真に報徳社をつくる(1849年)

・息子の良一郎を金次郎のもとに入門させる。

・生活に困っている人をを助けたり新しい田畑をつくったりする。

・遠江国報徳社をつくり初代代表となる

岡田良平(1864~1934年)

・岡田良一郎の長男

・大日本報徳社の3代目社長となる(1912年)

・国会議員や文部大臣となり国のために活躍する

岡田良一郎(1839~1915年)

・二宮金次郎の弟子となる(1854年)

・父とともに遠江国報徳社をつくり2代目社長となる

・自分の家に「翼北学舎」をつくる(1877年)

・日本ではじめての信用組合」(今の掛川信用金庫)をつくる(1879年)

・静岡県立掛川中学校(今の掛川西高校)の初代校長となる(1880年)

・遠江国報徳社を「大日本報徳社」と名前をかえ、全国の報徳社の中心となる(1911年)

一木喜徳郎(1867~1944年)

・岡田良一郎の次男

・袋井市の一木家の養子となる

・内務大臣や文部大臣、宮内大臣となり国のために

活躍する

・大日本報徳社の4代目社長となる(1934年)